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感想を書く。

逃避かもしれないなあ、と思ったりして、考えてた。

小説は読み始めると止まらなくなって、数時間は日常をおきざりに、没頭する。
ノンフィクションがすごく好きで、むさぼるように読んでいた時期もあった。誰かの何かの物語に触れるのはとても得がたい体験だし、読んでいるその間、自分が別のところにいる感覚が心地よくもあって、物語を読む時間を大切にしてた。
ここ数年、小説は年に数冊ほどだったけど、年明けからいきなり、すごく読みたい気分になって、読んでいた。

で、今の状態が、たとえば逃避だとする。何からの?
わからない。
わからない、・・・そんな感じが昨年後半から続いていた(正確には続いている、のかも)。
むかしは、怒ったり泣いたり、笑ったりも、常に敏感に反応してたし、好きとか嫌いの感覚もはっきりあった。自分の気持ちに対して貪欲だったから、「わからない」と答えを出せないこの状態を鈍くなったのかなあ、なんて思ったりもした。反面、「世の中、カンタンに答えを出せないぼやけた感覚というのもあるもの。歳をとって、まあるくなったのかもしれないね、自分」なんて思ってもしてた。
でも、わからない自分のことを、ただほっておいただけかもしれない。
「触れるまで」なんて、ただの言い訳かもしれなかった。
どう思うとかどう感じたとか、むかしならば、なにを観ても聴いても、自分の中でなにかしらの感想があったし、答えもあった。人生の難問(!? 笑)にも、なんとか自分なりに答えを出してきた。
そのことに、ここ数日、blogに小説の感想を書いていて気づいた。
感想を書くことは、どう思ったかなわたし、どう感じたんだろうわたし、と自分に向き合う作業なはず。それ、忘れてた。


とりあえず書こう。ただ、つらつらと。
本を読む、映画を観る、町を歩く、おしゃべりする、食べる、ニュースを見る、どんなことでも、感じたり想ったりってあるはず。自分の中のそういう感覚、見逃したらダメでしょう。「わからない」と思う、そのあいまいな感覚の答えがひそんでいるかもしれないし。
鈍くなったかも、なんて歳のせいにするなって。
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by book_cafe | 2005-01-15 21:35 | __ note 「... 」
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